いつの世でも、新しいものは大いに興る

2021年7月28日

雨降りの夜、ガラス窓の向こうに見える街の景色は輪郭がぼやけていて、視界に入る光の色合いが多彩なほどに、また奥行きを伴いながら上下左右へと移動や明滅が起こるたびに、宮沢賢治が遺した文章や詩などの一節が私の脳裏に浮かんでは消える。

私にとって彼はそういった多色の薄ぼんやりとした光によって想起される作家であり、デスクワークを多く抱えたためにPCの画面と向き合いながら過ごし時に息抜きがてら雑談記事でも書き散らすような静かな夜は思索の旅路の道先案内人にもなってくれるが、さすがに台風の接近による雨ともなればその範疇ではない。

今朝方は太平洋上から関東圏の横断を窺う位置に在った台風8号は進路を北北西へと変え、今夜から明朝にかけて東北地方で激しい雨を降らすと予報されており、当地の読者諸氏におかれては強風を伴っての豪雨で被害が出ないことを祈るばかりである。

気象庁の発表によると、関東甲信地方においては6月14日前後から7月16日前後にかけてが今年の梅雨だったようで、その直後からいよいよ開幕となった東京オリンピックはまさに熱暑の真っ只中での競技が連日繰り広げられている。

いかに五輪とはいえ競技には注目度が高いものとそうではないもの、メジャーな選手が居るものとそうではないものという大きな差がある訳だが、女子ソフトボールや柔道など前評判が高かったものは好成績が相次ぎ特に卓球では絶対王者と目されていた中国を破っての金メダル獲得ということで、いざ始まってみればさすがにトップアスリートが集う4年に一度の祭典ということで、興奮しつつ大いに楽しみながらTV観戦している者が多いように思う。

個人的には、スケボーやサーフィンなどが正式種目になっていたことを今になって知り、選手が見せる振る舞いや表情、また解説陣の口調などから伝統的な競技のそれとは”別のカルチャー”が素地としてあることを新鮮味をもって受け止めたが、最初にこれと同じような所感を抱いたのは学生当時に深夜番組だったかでモーグルを観戦した時だったように思い返す。同競技では1990年代中盤になると日本人からもトップアスリートが登場し、特に里谷多英氏と上村愛子氏は確かな実力と容姿から多くのファンを獲得し競技自体の人気も高めていた。

その国際試合において選手たちが見せる雰囲気はラフで、解説陣も堅苦しくない口調や表現でパフォーマンス評価をしていたのが印象的だった。例えば「エアーの前の緊張感……yeah!ツイストがイイ感じに決まったね」「今日は彼、板の回し込みいいじゃん、イケるよこれ」「上手く膝使って吸収できてるんで、いいタイム出るよ!」といった風な内容で評価ポイントや専門用語などを詳しく知らなくとも充分に楽しめるものであった。

国内で最も注目度が高まった1998年の長野冬季五輪の舞台で里谷多英氏が金メダルを獲得した際の解説では、おそらく第一人者の方なのだろうが「やったあ~!すげぇよ、多英!」と感情を露わにしたものが放送されたが、中には「ああいうのは解説と呼べるのだろうか」という手厳しい意見もあった。

その後のこととしては、何と言ってもスノーボード・ハーフパイプ競技選手だった國母和宏氏の一件だろう。冬季五輪が開催されるバンクーバーへと向かう際に、選手団の公式制服を一人だけ着崩して報道陣の前に表れ、髪型やピアスなども日本代表を背負うにあたり相応しくないとの非難を浴びたが「最近のスノーボードはすげぇダセぇから」と意に介さなかった。

騒動が過熱化したことで持たれた会見の場において釈明或いは反省の声が聞けるかと思われたところで同氏は、大方の予想を大きく裏切り「反省してま~す」「チッ!うるせぇな」というあまりにも有名な言葉を吐きこれまた物議を醸した。しかし中には「たしかに態度は悪いが、スノボというのは元々そういう”砕けた”ところが魅力のカルチャーだから、今までの競技の常識では測り切れないのではないか」という意見も多く見受けられたのも事実であった。



このようなことは何もスポーツに限らず、我々ぱちんこ業界においても時代の変わり目や新しいカルチャーというかたちで立ち表れて来た。新しい規則・規制・申し合わせや内規変更等に伴う新ジャンル機の登場といった変化に対してその都度様々な反応があったり”常識”が変容するといったことは度々起こったが、定着したものもある一方で自然消滅したものもある。

ここ十数年ほどで見ると、それは例えば使用金額や遊技時間など”遊技に応じて付与するタイプ”の会員ポイントサービスの禁止、高純増ATタイプ機や大量ストックタイプ機或いはMAXタイプ機といった射幸性を高めた仕様の遊技機の撤去問題といった具合いに、業界側もユーザーも双方が歓迎したことで隆盛をみたものであっても取り締まり行政が介入することで規制されたものもあった。ごく最近では、パチンコ機における段階設定機能と遊タイム機能の活用における是非論や、ユーザー側の立ち回りの変化というかたちで現出しただろうか。

いずれにせよ、新たに生じたものや認められたものを自分たちで敢えて抑制しようとしたり頭から否定したりするような行為は私としては”つまらない”と感じており、時代や物事の過渡期においては価値観も含めて多くが不明瞭であり従来的な当たり前の基準だけを適用して解釈しようと試みてもなかなか上手くはいかず、新勢力の勃興を古い権力が排斥に走るような動きは、業界の可能性を狭めることにも繋がりかねないと危惧している。

情報発信という舞台においても、”店長ブロガー”がオウンドメディア上で活字や資料提示という手段で情報を発信するという時代は2年ほど前に終焉し、それにとって代わるかたちで今まさに現在進行形で数多くの動画配信者が現れており、その主役は完全に移り変わったといえる。それに伴いというか相変わらずというか、何かと騒ぎも起こっているようだが、私としてはその変化や多様性を観客の立場で楽しみたいと述べて本稿を締める。

楽太郎

Posted by 楽太郎