悩める者も誰彼も、それなりに楽しんで生きる

ずっとミスターチルドレンの歌が嫌いだった。

“ずっと”というのは正確に言えば、最初期の頃に聴いた何曲かが当時の自分にとってとても印象が悪く、それで嫌いになってしまいその後は十数年もの間一曲を最後までしっかりと聞いたことが無かったからに他ならないのだが、何故そんなに毛嫌いしていたのかと言えば、彼らが「うだつの上がらないサラリーマンの日常」を歌っているように思えて、上昇志向が強かった若い時分の心持ちにマッチしなかったからだろうと、今となってはそのように振り返る。

うだつの上がらないサラリーマンの日常とは、中学や高校の時に抱いていた青臭くも熱い夢のようなもの、また何の根拠もない自信のみで成立していた薄ぼんやりとした未来図のようなものが、上京し大学生活を始めてより広い人間関係の中での他者との比較において劣等感に苛まれ、また社会人生活を始めて万事そんなにうまい具合に思い通りにはいかないのだということに直面して味わう挫折感が漂う毎日を、例えばバッティングセンターでフルスイングでもしながら「こういう日々も、悪くはない」とか「若い頃に欲しかったものは、それそのままのかたちでは手に入らなかったけど、ひょっとしたら今、別のものにかたちを変えて手に入れたのかも知れない」などと妥協的に、人間万事は”塞翁が馬”という故事の如くに自分を納得させたりする日々だ。

彼らはそういう会社員のそういう毎日に寄り添って、“現在地”が探し望んだところではなくても構わないのだ、答えはひとつではないのだと歌う。少なくとも私には、そのように聞こえた。



私は”そういうの”が嫌で、社会人になって以降、描いた目標達成ルートからなるべく逸れないように、望んだものがそのままのかたちで手に入るように努めて来た。その理由は、他でもない自分自身が大学時代に、ドイツ語の学術書を原典で読めない、ヘーゲルが何を言っているのかさっぱり解らない、単なる遊びのつもりだったパチンコスロットにどっぷり浸かってしまう、といった体たらくで、当初望んでいた学究の道からだらしなくもドロップアウトしたからかも知れない。

それで私は、自分には向かないだろうと思っていた職種に自分自身をまずは投げ込んでみて、どうにかこうにか一端の社会人に成ろうと努めた。だがしかし、朝は早くに家を出て客先では縮こまり会社では時間外労働に心身をすり減らし日が変わる直前に帰宅するような毎日で、それを会社は「20代での苦労は30代になって実を結び40代で開花する」と教化しようとするからすっかり疲れ果てて嫌になってしまった。

120人ほどの会社だったが、目の前にいる30代・40代の先輩社員の中で魅力的に映るような、つまり苦労が本当に結実して開花したような者はたった1人しかおらず同輩は皆が寝不足で生気に乏しく、このような環境でどうすれば自分が欲しいものが手に入るのか、成りたい人間になれるのかと煩悶したがそれと同時に、ある単純なことに気付いた。背広を着て街に出てオフィス仕事をこなす、つまり”社会人経験”を踏む、それ以外の目的はなかったじゃないかと。

つまりはそもそも今いる場所には獲得したいものも己の理想像も無く、世の中には様々な職種の様々な事情がありそこに出入りしてちょっと覗き見させてもらう、それだけで良し、という風に”不良社員”的な考え方をすればだいぶ気が楽になった。すると毎日鬱屈としていた状況から急に視界が拓け運気までも巡って来たようで、客先であったホール企業から管理職待遇で拾ってもらうことができた。

転職の直前期は、出先の街々でホールの自動ドアが開くとともに聞こえて来る遊技機の演出音や店内の賑わいが、ちょうど祭りの縁日にでもやって来たかのような気分の高揚感をもたらしてくれ学生の頃にアルバイトに励んだホールの雰囲気が懐かしく思い出されていたため、まさに渡りに船のような幸運を感じたものだ。

となれば、考えることは1つだけ。ここで”成功”しようということだった。成功の定義が人それぞれではあるものの、当時の上長から掛けられた「パチ屋の仕事は、やればやるほど、認められるほどに自由になっていく」という言葉を胸に”やる”に留まらず”やり切る”ことを常に考えて、格好つけた言い方をすれば”自由を求めて”取り組んで来た。

実際にはここの職場も”昔ながらの”ホール企業には良くある話として労働条件の悪さと引き換えに高給が与えられるという現場環境で自由からは程遠いものだったのだが、なるほどたしかに店長になったあたりから本当に自由を感じられるほどの職権を行使できるようになり、今に至る。

私がそんな20代を過ごしている内にも、また30代後半からは上位役職者となりちっぽけな会社ながらも職責が増しそれを全うするべく忙しく過ごす内にもミスターチルドレンは息の長い活動を続けたようで、開店前に自店の有線放送で彼らの楽曲を耳にすると若い社員に「いまでもミスチルは流行っているのか?」などと質問してみたり、街中などで不意に耳にすると立ち止まって傾聴してみるという機会が増えた。

最近だと、それこそ学生時代にヒットしていたような楽曲の動画が大型家電量販店のタブレット売り場で再生されているのを見掛けたが、誰かが流したままその場を離れた画面で彼らは、目の前の不条理を愛せ、単調な生活を愛せという多分にシニカルな歌詞を世の中に対して放っていた。

およそ25年経った立場でそれに対峙した私は、「思い通りにいかない、そのような時にも、そのことすらも、楽しんで生きる」―――そういう考え方も、悪くはないじゃないか、そう思えるくらい私は、どうやらオッサンになってしまったことを自覚した次第である。

楽太郎

Posted by 楽太郎