遊タイム戦争、あるいはパチンコ内戦

寄稿文

皆さま こんにちは。ユーザー枠のゴンザレスです。

今回はおふざけ多めです。

はじめに

以前書いた寄稿文とは別に、また改めて遊タイム機に関する寄稿文を書きたいと思いながら色んな意見やコラムを閲覧していたら、ふと考えました。

「これはまるで戦争だなぁ」と。

それをきっかけにポポポポーンと出来上がったのが今回の寄稿文となります。

本音

できればユーザーの皆には幸せに遊技して貰いたい、と私は思います。

ユーザーというのは、言うなれば運命共同体なわけです。

互いに頼り、互いに庇い合い、互いに助け合う。だからこそ戦場(ホール)で生きられる。ユーザーは兄弟、ユーザーは家族。

嘘を言うなっ!

猜疑に歪んだ暗い瞳がせせら笑う。

(中略)     

お前もっ!お前もっ!お前もっ!

だからこそ、俺のために(収支的な意味で)死ねっ!

資源をめぐる争い

パチンコ・パチスロを含めた「ギャンブル等」というのは、見栄や建前やキレイごとを剥がしていけば、「ユーザーが金を出し合って取り合う行為」で、生産性の欠片もありません。だから面白いのですが。

そして、それをユーザーは知識として、あるいは本能として理解しています。

「お金はどこからか降ってくるわけではない」「勝利者の足元で誰かが泣いている」「お前の負けは俺の勝ち、俺の負けはお前の勝ち」という感じです。

しかも、程度の差はあれ、皆が「勝ちたい」と願っているわけです。少なくとも「負けたい」とは心の底からは思ってない。

「右の頬を打たれたら左の頬を差し出す」聖人君子タイプはホールにいません。そもそもそういう人はギャンブル等なんてしません。ホールにいるのはそれなりに欲深く、だからこそ人間臭い人たちです。

ほぼ負けると分かっている三重県オールナイトですら、その参加者は「お祭りだから(笑)」と言いつつ、心の底では「あわよくば大勝したい」「俺だけは奇跡的に勝てる」と思っているようです。なんせ吸い込みは激しく万枚実績の多い射幸性の高い機種が人気だったのですから。

しかし、全員が勝てる筈はありません。皆が平等に富を得ることはできません。だからこそ『戦争』なのです。

つまりは資源戦争。相手より少しでも資源(出し合ったお金)を分捕りたいわけです。

もちろん戦争とはいえ友情は存在します。私だって知人、例えば会社の同僚社員には勝って貰いたい。まさに戦友。

「社員は家族。同僚は兄弟。部下は子供。社員は人財」、嘘を(省略)

逆に言えば、それ以外の「知らない誰か」は負けても困りません。むしろ負けて貰わなきゃ困る。悲しいけど、これ戦争なのよね。

イデオロギーや思想のぶつかり合い

さらに言えばユーザーの遊び方や遊技スタイルにも色々なものが存在します。

例をあげるなら、

①ライトユーザー(ある程度予算を決めて打つ。遊タイム期待値が高ければ打つが、低くても打つ人達)

②ヘビーユーザー

a.専業や兼業のハイエナ勢(遊タイム期待値が高ければ打つが、低ければ打たない人達)

b.「とにかく当たるまで打つ」勢(金があるのかブレーキが無いのかが分からないが、一人でミドルの遊タイム発動回転数をこなしかねない人達)

と、まあこんな感じで分類できるかと思います。

実際には「ある機種で趣味打ちをするために、その他はガチで打つ」「非遊タイム機は遊タイム競争に疲れた戦士の休息の場」といった様々な意見があるとは思いますが、今回はネタなので無視します。なんだよ戦士って(笑)

この中では、遊タイム肯定派はヘビーユーザーに多く、遊タイム否定派にはライトユーザーが多いかと思います。

こうなると、イデオロギーや思想の闘争のようなもの。立場が違う相手を理解するのは不可能に近く、それこそ紛争や抗争の火種にもなりかねません。しかも全員の第一目標が「俺は勝つ」という全員は実現不可能なもの。

さらに、オスイチ教、ボーダー教、遠隔狂信者、遊技至高派、射幸性至上主義などが入り交じる大混乱の様相。つまりは宗教戦争。

「進者往生極楽 退者無間地獄」と投資を重ね、「厭離穢土 欣求浄土」と天井を目指す。そしてホールには餓鬼(エナ専)が徘徊する。世はまさに地獄なり。

こいつはいいぞ、どっちを向いても敵ばかりだ

( ゚∀゚)ふははははははははは

頭を冷やして解説

「ぱちんこ共和国と最近聞くが、共和国といったら内戦や紛争だよなあ(偏見)」と思ったり、ネット上での立場が違う故に相互理解が不可能であろう遊タイム論争を見たり、あるいは最近動画配信サイトで「むせる」アニメを見たり、色んな物が重なり、妙な具合でスパークして思わず書き上げてしまったのが今回の寄稿文です。我ながら暴走してしまいました(笑)

しかし、的外れな話を書いたつもりはありません。

「パチンコは勝ち負けである」で遊技をするとしたら、「ユーザーが金を出し合い取り合う」というのがギャンブルの基本である以上、ユーザーの相手はホールではなく別のユーザーになってしまうのは事実だからです。

そして遊タイムは、今までパチンコにおいては大きく注目されてこなかった、そのボンヤリとした基本を「具体的な回転数」という形で一般ユーザーに強調させてしまった、と私は考えます。

もう少し綺麗にまとめて自分の考えを書きたいと思うので、またそのうち改めて書きたいと思います。

さすがに、このノリの直後に真面目に書くのは無理っす。

ネタで始まりネタで終わる

戦争に巻き込まれた一般人が取れる手段は限られます。

自分も戦うか、すべてを諦めるか。

あるいは、逃げて新天地を見つける。これも一つの手段です。

パチンコで言うなら「殺伐としてきたパチンコを止めて、別の娯楽を探す」ということになるのでしょうか?だとしたらパチンコ難民はどこに行くのか?

別の娯楽といえば、いま流行りのプリチーなウマな娘のゲームになるのか?

あるいは、参加者が比較的平等で公平な競馬(K松を除く)でしょうか?

どちらも課金が必須で、特に前者の方は課金のきっかけ作りが上手すぎて、お子様に遊ばせるのは怖いですが。大人でも怖いです、あれは。

パチンコの手を逃れたユーザーを待っていたのは、また地獄だった。

次回「ウマ」。来週もキ●コと地獄に付き合ってもらう。

寄稿者紹介

加藤ゴンザレス氏

<プロフィール>

楽太郎ブログの最初期からの読者。

おもに会社帰りに打ってる養分リーマン。

パチンコばかり打ってます。 

「細く長くパチンコと付き合う」感じで遊んでます。

Twitter:@gonzalezes2544