走り出す、走り続けるための理由

緊急事態宣言に伴い各種営業施設の休業・時短措置がとられている都道府県のホール関係者やそこに出入りしている販社の諸賢は同意してくれると思うが、さすがにもう、夜時間帯において界隈の飲食店はメニューを選び尽くしてしまった。これは持ち帰りメニューについても同じで、文句を言ってはいけないのかも知れないと思いつつ、「また今夜も牛丼になるか…」「脂が浮いているのではなく、あっさりした中華そばが食べたいが、肝心のお店がやっていない」といった具合いにすっかり諦めて日々を過ごしている。

こうした中、居酒屋に行けなくなるとダイエットになるのではないかと淡い期待を寄せていたものの、日中に好きなものを選んで食べられるときはここぞとばかりに食べてしまうため、緊急事態宣言下の今が逆に体重の”上乗せ特化ゾーン”のようになってしまっている残念な業界人も沢山居ることと思う。

かく言う私もごく自然な流れでかなり太ってしまい、風呂上がりにパンツ一丁で過ごしているところを嫁さんから見つかると「せっかくだから計ってみなされ」「ほう、腹・腰周りにだいぶ肉が付いてきたのう…」などと言われ体重計という名の生贄の祭壇、或いは見世物の舞台に上がるかどうかといった場面で「今日のところはいいや!」と必死に逃走している。今のところは回避率100%だが、こんなのはそう長くは続かない。近い内におそらく、平時よりも4.5kg太ってしまったのがバレて、去年の1月だったか2月だったか以来となる夜食禁止令と痩せやすい体に戻すための骨盤枕を使っての自己整体、風呂上がりのストレッチなどが厳命されることと思う。

このダイエットについて、私としては何としてでも避けたいのがランニングなどの運動だ。私は運動が大嫌いで、太っているよりはスラリとした体型の方が良いが、でも可能な限り心肺機能は酷使したくないという我儘な男として嫁さんからは要警戒されている。だからこそ、走ることが趣味だという人に会うと、それだけで上等な人間に見えてしまうが、この”走る”という行為について、時節柄オリンピック・パラリンピックと結びつけて語らねばならない気がするため少しだけ触れてみたい。

今夜は土曜の夜で、皆がすっかり気を抜いて思い思いに趣味に興じたり自宅で酒でも飲みながらゆったりとした時間を過ごしているだろう。そうした時間の内のいくらかをぱちんこ店長ブログの閲覧に充てていただいている訳だから、そんなに長くならず、小難しいことも言わず、譬えるならばちょうどあっさりとした塩加減で細ネギと穂先メンマ、鶏チャーシューがそっと乗せられた細麺のラーメンのように(これなら太りにくいし胃もたれも起こさない)ごく軽い内容を心掛けるので、もう5分ほどお付き合いいただきたい。

さて、”走る”ことは特に障がいを抱えていたり心肺機能に異常を来してでもいなければ大体誰にでも可能な行為で、それだけにこの行為の極致ともいえるオリンピック・パラリンピックを舞台とした100m・200mなどの短距離走やマラソンなどの長距離走において世界のトップアスリートたちが鎬を削る様を観戦するのは、”一般人”である自分自身との比較も成り立ちやすく純粋に凄いと思え感動を覚える場面も多い。私の世代だと短距離走に多くの名アスリートを思い浮かべ、それよりも上の世代だと駅伝なども含めて長距離走の方が名前が挙がり易いだろうか。

実際、名アスリートどころか”伝説”として認識されている長距離走者さえも居る。例えば、先の東京オリンピック時代の人物であり「もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」という遺書をしたためたことでも有名なマラソン選手・円谷幸吉。ベルリンオリンピックの男子5000m・10000mにおいて190cm級の長身選手たちとデッドヒートを繰り広げ、最後はいずれも4位に終わりながらも公式記録映画(ナチスによる国威発揚大会であるから豪勢な作りだ)において他の金メダリスト達と並び主役級の扱いを受けたことで知られる村社講平。

前者においてはあまりにも悲劇的な結末により幅広い世代に認知されているが、後者においては若い世代だと見たことも聞いたことも無いという者も多くなっているだろうから残念なことだ。前述した記録映画を見て村社に強い影響を受けレーススタイルを私淑したというチェコの少年が、後にヘルシンキオリンピックの舞台で5000m・10000m・マラソンという3種の競技で金メダルを獲得するという前人未到の快挙を成している。”人間機関車”として知られるザトペックである。

今まさに日本国内では東京オリンピック・パラリンピック開催の是非についてそこかしこで議論されており、観客をどれだけ入れるか、それとも完全に無観客でやるのかすらも現時点ではわからないが、どうせやるなら、全競技において”映像として最高のもの”を発信して欲しいと願う。同時代人としては、今は、このコロナ禍で敢えて開催する意義などないだろうと多くの者が思っているとしても、それが後世において「2021年の東京オリンピック・パラリンピックに影響を受けた」と語るトップアスリートが出て来るかも知れないし、アスリート以外でもこれに触発されることで才能を花開かせる者が居るかも知れないからだ。リアルタイムでの価値は見出し難くとも未来に懸ける、こういう考え方は、私としては嫌いではない。

昨日、ちょっとした用事で日比谷界隈に出掛けたついでに、有楽町線の「桜田門」駅がある警視庁方面へと足を進めた。右手を見遣ると多くのランナーが個々のペースで皇居外縁を走っていたが、マスク姿の者も多く傍目から見ると窮屈そうだった。同行していた者が言うにはランニング専用の高性能製品もあるようで、実際にはそこまで呼吸を邪魔するようなものではないのかも知れないが、走る姿にマスクはどうにも似合わないなと思わされた。

そういえば、皇居界隈で仕事をしていて、ここで走るランナー達に触発されてマラソン選手になったというアスリートが居ただろうかと、ふと思い出した。帰宅してから調べてみると、今はタレントとして活躍している谷川真理氏であった。いつかのオリンピックでのメダリストだったような気がしていたが、選手時代の彼女の経歴には”世界陸上”などの国際マラソンの記録は沢山あるが、”オリンピック”というのはひとつも無かったので記憶違いだった。

ネット上には様々なメディアによる彼女のインタビュー記事が数多くupされていて、せっかくの機会なので10本ほど読んでみた。その中のひとつに、マラソンはただ一人で走り続けるように見え本人もそう感じることがあるが、ルートの途中で多くの人々から励まされ、また樹木や鳥など自然のあらゆるものから活力を貰っていると感じることができるため決して孤独などではない、という主旨のものがあった。

この応援や孤独について、オリンピック・パラリンピックに限らず国を背負って或いは勝手に背負わされて走る選手の気持ちはどんなだろうと考える。円谷幸吉は皆の期待通りの走りは出来ないと自分を追い詰めたし、『長距離走者の孤独』においてスミスは喝采を受けながらゴールに迫るも”走らされた”結果としての優勝が気にくわず直前でその権利を放棄することで反抗した。



ライフスタイルとして走っている知人に言わせれば、ランニングには自分の時間を持ったり余計なことを考えず身体に適度な刺激を与えるという意味で自らの意思で”孤独になりに行く”という側面があり非常に有意義なことらしいが、そう聞いても私は走るのは気が向かない。

だが、普段より4.5kgも太ってしまい、食後にビールを飲むと腹がパンパンになってすぐには動けないような状態で嫁さんからのダイエット指示に反抗するのにも無理があるのは分かっているので、自宅でのストレッチや間食制限から始めて、ホールにも積極的に出て「オリンピックの開会式である7月23日までにマイナス5kg」という目標で取り組んでみようと、つい先ほど風呂上がりにビールを飲んでいた最中に思い立った。

もしも仮にこれから先、Twitterの方で「今日はこれからランやで」などと、ちょうど大崎一万発氏や林秀樹氏のようなオッサンの”誰得”ツイートを見掛けた際には、ダイエットの進捗状況が芳しくなく追い込まれているのだなと、そうお考え下さればと思うと述べて”土曜の夜と日曜の朝”の狭間で書き進めて来たこの雑談を締める。

楽太郎

Posted by 楽太郎