ごく稀にしか見出されずとも、”失われた時”は確かに存在し続けている

20代の頃、仲間内でよく遊んでいた上野界隈には毎度”負け飯”を食べる居酒屋や飲食店と、時々だが誰かが大勝ちした際に便乗して”勝ち飯”に与る少しランクが高めの食事処がいくつかあった。その中の何軒かはもう何年も前に廃業してしまい店構えの面影すら残っていないところも多いが、先日知人を業界団体オフィスに訪ねた帰りにそぞろ歩きしている最中、美味しそうな香りがする小綺麗な割烹スタイルの鰻屋の前を通過した瞬間、長いこと忘れていた「鰻弁慶」の味を付け合わせの漬物の風味まで一緒に思い出した。マドレーヌ効果というやつだろう。だがしかし今日は、プルーストの文学表現技法にあやかって鰻にまつわる昔話をしたいわけではない。

鰻弁慶はパサージュⅠとスターホール方面に歩いた角地にあり、御徒町も含めて見てこの近所のホール、例えばMGM、東京会館、EGGなどで4・5人で連れ立って遊んで、そろそろ帰るかというタイミングが一致した際に”勝っている”者にたかって「栄養付けなきゃな、というわけで……鰻でも食おうぜ」となったら大体はそこに行く、というような店だった。一人当たり2,000円ちょっとの定食と、天ぷらの盛り合わせ、そして何より稼動の後はビールということで瓶ビールを満足いくまで飲むと小一時間で2万円くらいの会計になっていただろうか。自分が奢る側になると、まあ結構な出費である。

このようにして当時つるんでいた面々のひとりに、年齢にしては進行した部類に入るだろう”アルコール依存症”の者が居た。いつ何時でもどのような場所でも、そしてどのような種類のアルコール飲料でも飲む準備が出来ている風な男で(グレープフルーツを二つに割って中をくりぬいて、そこにスピリタスとカチ割り氷を入れて飲んだりしていた)、酔い方の”振り分け”は高揚が10%・気落ちが90%で、高揚に振れた時には予測不可能で突飛な行動に及ぶ名人であり数々の”伝説”を持っている。

想い出深いのは駒込界隈で飲んだ時だ。高台にあるホールで不二子におまかせだったか何かで大勝ちして、皆で六義園近くの安い居酒屋で騒ぎ、その帰りに仲間のひとりの自宅がある田端方面に歩いている最中に彼の姿が見えなくなった。どうせいつものように道端で吐いているか寝ているか、或いは皆を笑わせようとしてどこかに隠れてでもいるのだろうと辺りを見回したが、どうにも見付からない。

10分以上は探しただろうか。さっきの居酒屋に忘れ物でもして戻ったのだろうか、さすがにこれは本気で行方不明だぞと緊張感を高めた時に仲間の悲鳴にも似た声が響いた。「やばいやばいやばい!ダメダメダメ!」「出ろ!すぐ!」指さす方を見遣ると、山手線の白い柵の中を線路に沿って夢遊病者のように(実際に目にしたことはないが、おそらくこんな感じだろうという風に)フラリフラリと歩いている彼が居た。

皆大急ぎで坂を下り、駒込駅から田端駅方面へ少し移動したあたりの踏切のところで捕獲に成功した。当時ここには、山手線唯一のごく小さな踏切が設えてあったのだ。すると間もなく、通報でも入ったか、数名の駅員らしい姿がこちらへと向かって来るので、事情聴取でもされたり警察沙汰にでもなったら大変だということで全力で逃走して近くにあった墓地に身を潜めて難を逃れた。

怖いのは、当の本人がどうやって、そして何故線路に入ったのか、どれくらいの時間そこに滞在していたのかなど、一切覚えていないことだ。この手の迷惑事は他にも何件かあったが、彼自身はいつでも我関せずで尚且つ体の方は無傷で、万の矢が飛び交う古代の戦場でもおそらく千鳥足で横切ることが可能ではないかと思わせられるような不思議な”運”を持っているように思えた。この時も、記憶違いでなければ山手線の電車からクラクションが鳴るとか、大騒ぎになっているような音は一切聞こえて来なかったので、柵を乗り越えて中に入り我々を驚かせようとでもしたのかも知れない。

このように、まさに”酔いどれ天使”とでも呼ぶべき無邪気さと傍迷惑さを兼ね揃えた人物なわけだが、このほど緊急事態宣言が発出され東京都における感染拡大防止施策のひとつで”酒類提供の停止要請”が盛り込まれて、各種メディアやSNS界隈では「なんでもコンビニにまで販売停止を要請するらしい」「公園飲みの連中も見回り隊から排除されるらしい」「現代の禁酒法だ」「本気で酒類禁止なら、もう調理用のみりんでも飲むしかないな」などと虚実入り混じった情報や憶測、冗談などが飛び交う中で、私にとっては必然的な流れで彼のことを思い出した。「アイツ、今、どこで何をしているんだろうか」と。

おそらく15年振りくらいでメールを送ってみたところ、生存が確認された。冗談半分で、あれだけ破天荒だったのに、よく生きていたものだ、という主旨で送信したら、なんと向こうは私の方をこそ心配していたらしい。そして、あれからずっとパチンコ屋をやっていると伝えたところ、「パチンコ屋は大変だったろう、大丈夫か?」とコロナ禍に際しての私の身を案じてくれた。

そんなこんなで、図らずも旧友と連絡を取ることになったが、そのきっかけをくれたのは上野のオフィスに招いてくれた知人と、鰻屋から漂って来た香ばしくも甘じょっぱい匂いであった。そのどちらに対しても、この機会に感謝したい。

楽太郎

Posted by 楽太郎