色鮮やかな花束をいま、礎となった先人たちに捧ぐ

2021年4月15日

去る4月9日、本社でのデスクワーク途中の息抜きで開いたTwitterのタイムライン上に流れて来た画像に目を奪われた。突き抜けるような青空の下で爛漫と咲く、アカシアの黄色い花だ。

発信者のコメントによれば当日の”誕生花”がアカシアだったということで、検索するとなるほど同じようなツイートが散見されそれぞれ花言葉や原産地・同種の花などを思い思いに紹介しているが、「アカシアだと思って鑑賞していたら、実はニセアカシアだった」というのはよくある話だ。

例えば、かの石川啄木が逗留先の札幌で見て「アカシヤの並木にポプラに秋の風」と詠んだ木立と、北原白秋が「この道はいつかきた道、ああそうだよ、あかしやの花が咲いてる」としたためたものは分類上ではニセアカシアだそうだが、こういうことをいちいち確認するのは野暮だとも言われそうなのでこのあたりで留め置く。まあ、そもそもこういうものは事実と少しばかり違ったところで名作の風情や詩情を損なうようなものではなく、ただの蘊蓄程度の意味しか持っていないと一応付言しておきたい。



さて、この流れで楽曲をひとつ紹介したい。1960年4月に初販となり、以後多種多様な歌い手によってカバーされ長く歌い継がれている佳曲『アカシアの雨がやむとき』である。

原曲は『コーヒールンバ』で知られる西田佐知子が歌っており、カバーした数多の歌手の中から個人的なベストとしては藤圭子を挙げたい。その理由は、頽廃的とも言えるような”ラッパ”の音で始まる気だるい曲調と死の香りを漂わせる危うさをも内包した歌詞により形成される世界観を完全に体現しており、この楽曲が日米安保闘争の”敗戦”に失望し切った若者たちが口々に歌い、また当時の世相を反映するものとして記憶されたというのも何となくわかる気がしてくる出来になっているからだ。

残念なのは、私と同じくらいかそれより若い世代だと、近現代日本史への興味や音楽史に造詣が深い者、そこまででなくとも懐古趣味を持ち合わせた者でもなければほとんど知られていないことで、過去に共通の話題にすることができたのはただ一人「たしか安保闘争の時に、押し寄せる群衆によって圧死したとされる女子大生の鎮魂歌みたいな扱いをされている歌だよね」と言った大学時代の友人だけだ。

この楽曲だが、国もジャンルも違えどそれが纏う雰囲気が、ある有名なフランスのシャンソン曲と似ている。宮崎駿監督によるアニメ映画『紅の豚』の劇中歌として知られる『さくらんぼの実る頃』である。これなら、私と同世代やそれ以下の者でも知っている場合がほとんどで、もう二度と戻って来ることのない”あの頃”(それは個々人によって異なるがゆえに趣きがある)への想い、湧き上がって来る感情のひとつひとつを確かめるかのように歌う曲調を、誰しもすぐさま思い浮かべることができるだろう。

これは元は、さくらんぼの季節を巡る失恋の悲哀を歌ったものだったが、19世紀中盤のある”革命”が影響して趣きを変えることとなる。その革命とはすなわち、”パリ・コミューン”である。

1871年、ドイツ圏北部の大国プロイセンは、バイエルンをはじめとした南部の諸王国・大公国との同盟によりフランスを徹底的に打ち負かしナポレオン3世による第二帝政を瓦解させた。普仏戦争である。領土の割譲などを含む屈辱的な講和に反対したパリ市民は即座に蜂起、これにより成立した革命派の市民(広義で”労働者階級”と言い換えても構わない)を主体とする自治政権がパリ・コミューンということになるがしかし、革命という呼び名自体が、哀しくも既に混乱や敗北の運命を思わせる。

パリには果たして自治政権が樹立されたが、すぐさまブルジョワ階級の支持を受けて臨時に構築された新政府の”正規軍”によって苛烈な攻撃を受け、激しい市街戦の末わずか70日ほどで文字通り殲滅されてしまう。ある日このコミューン勢力が立て籠もる一角に設営されたバリケードに、さくらんぼを入れた網籠を持ったルイーズという名の野戦病院付きの看護師が現れる。彼女は元居たバリケードが占拠されたためこちらに移って来て、銃弾や投擲物が飛び交う新たな戦場で負傷者の介抱にあたったのだが、不幸にもその最中に落命してしまう。

目撃談か伝聞かは確認ができないが、この出来事に触れた作詞者のクレマンは後に、元の歌詞に彼女に捧げる内容の加筆を施すことでコミューンの崩壊と犠牲者の死を悼む楽曲へと作り変えた。これをパリ市民が愛唱したことから、現代に至るまでシャンソンの古典的な佳曲として時代を超えて歌い継がれていくこととなる。

『アカシアの雨がやむとき』と『さくらんぼの実る頃』に共通しているのは恋の喪失感と、若者・持たざる者たちが主体となって戦った革命の失敗を想起させるシンボリックな楽曲として定着したという2点だろう。

同時代人や生きた時代が近い者なら「”彼女”は、もしかしたら自分だったかも知れない」という当事者意識を持って歌ったかも知れないし、現代の若い世代でも「そういう人達がいたからこそ今がある」と思いを致す切っ掛けにするかも知れない。

何十年・何百年も昔の時代は色褪せて見えるが、その時々において戦った先人たちの成功或いは失敗すらも礎として我々はここに在る。これは国も時代も産業も不問の、ひとつの真理であるように思う。ここ日本では、もはや”戦い”と呼べるようなものは一切無くなっているのかも知れないが、私はかつて各々の事情でか何かを背負ってか、理由の違いはあろうが懸命に戦った先人に対しては常に敬愛の念を抱いている。

これは、ぱちんこ業界における自分の在り方や考え方にも関係しており、鬼籍に入った方々も含め旧世代の業界人の尽力に対して期初にあたるいま改めて感謝している。辛い1年であったが、それでも”昔”よりはだいぶマシだったかも知れない、これくらいでしんどいなどと言ってはいけないのかも知れない、そのようなことを考えながら本稿をしたためた次第である。

楽太郎

Posted by 楽太郎