【震災10年】ゴールポストを動かしたことで信頼は失われた

2019年末、政府は鹿児島県西之表市に属する約8㎢の島である馬毛島の土地を取得した。全長2.5km級の滑走路を敷設し、まずはアメリカ軍空母艦載機の離着陸訓練場とするためである。

基地施設の工事は来年からはじまり2025年には完成する予定で進められているが、このことは当時、単純評価額では45億ほどと見積もられたごく小さな島に160億もの予算を組んだことと対米追従の意図が見え見えであることで、国会はもちろん報道の各所でも是非が議論された。

特に、物事をその都度でしか見ず、何ならどのような政策に対してもNOを突き付けることで矮小な自己が非難対象である国家と同程度まで巨大化したかのような錯覚に酔っている質(たち)の悪い層にとっては格好のネタだった訳だが、素人判断ながらも時系列と地政学の目で俯瞰すると、他に選択肢の無い必要な措置とまでは言わないまでも、一応は妥当な判断であることが見て取れる。

菅義偉総理も先の内閣における官房長官時代から本島取得・整備の重要性についてたびたび話題にしており、昨年中にあった自民党総裁選に際しても日米同盟をより強固なものにすることの重要性と、アメリカと疎遠にでもなれば国防上のリスクになるという主旨の発言を残している。

馬毛島取得の一件の遠因になっているのは沖縄における”基地問題”であり、普天間から辺野古への移設に絡むゴタゴタが関係しているように見受けられる。

本件について結論から述べれば、移設への取り組みに際し日米政府間で一旦は合意した内容を突如日本側から反故にするような動き―――最近流行りの表現を借りれば”ゴールポストを動かす”ような流れになったことで失った信頼と、後述するように信頼喪失が招く国防上の不利益を回避する目的で洋上に文字通り打ち込まれた一手であると解釈できるように思う。少し振り返って見ていく。

1996年、橋本政権下で合意した普天間飛行場の返還については在日米軍が同等の機能を維持出来る別の基地を沖縄県内に新設するという条件が付いていた。ここから、沖縄県における基地問題がより厄介なものとなっていく。

日本国土の全面積に対してたった0.6%ほどしかない同県に、国内全米軍基地・専用施設面積の70%以上が存在しているという”不公平な負担”は当然、長く県知事選の争点になって来た。その他にも、環境保全活動家によるサンゴ礁破壊の問題視、軍用機の墜落・落下物の危険性の糾弾、また窃盗犯・粗暴犯に代表される軍人・軍属・関係者による事件がたびたび世間を賑わす事なども影響してか、ひとまずは名護市内の米海兵隊基地であるキャンプ・シュワブがある辺野古が移設候補地としてようやく選ばれたのが1999年であった。

次なる局面は2004年であった。普天間基地所属のヘリコプターが沖縄国際大学の構内に墜落したのだ。これにより早期移設論に拍車がかかることとなり、2006年に日米間で在日米軍再編に向けてのロードマップが策定されることとなった。

この再編計画では、市街地のど真ん中に位置する普天間から港湾部である辺野古への移設がほぼ決定的となり、実際にその実現に向けて物事は具体性を持って動き始めたかに見えた。しかし、おそらく日米両政府共に予期すらしていなかった”ある出来事”により、この合意が反故にされる可能性が俄かに生じることとなった。

民主党政権の誕生である。

ここに至る経緯を少し振り返ると、まずリーマンショックに端を発した先進国における金融恐慌で記憶される2008年に自民党総裁となったのが麻生太郎氏であった。翌2009年、民主党内でもゴタゴタが起こる。代表である小沢一郎氏が自身の政治資金管理団体である陸山会の会計絡みの嫌疑により引責辞任する運びとなり、後任となったのが、後に本件に関する”舌禍”を引き起こすこととなる鳩山由紀夫氏であった。

同年夏の衆議院選は8月末に投開票となり、旧態の行き詰まりと改革の気運を見てとった民意は定数480議席のうち実に64%に上る308議席を鳩山・民主党に用意し、対する自民党はというと119議席という結党以来初めての惨敗を喫し国政を担う第一党の座から転落した。

この時点で既に、前述した舌禍の種は撒かれていた。選挙戦の渦中で鳩山氏は、沖縄県における普天間の移設問題について「最低でも県外」と繰り返し発言していたからだ。

鳩山氏は組閣後、70%という高水準の支持率を背景にマニフェストを実行段階へと移そうとしていく。自民党政権から引き継ぐかたちとなった辺野古への移設についても、半ば公約化していた「最低でも県外」ということをアメリカ側に主張するものの政府同士の合意を反故にはできないとされ、鹿児島県・徳之島へという代替案も含めて全て拒否されてしまう。

米政府はおそらくこの時点で新総理或いは民主党による政権遂行力そのものに不信感を抱いており、結果的に鳩山政権は従来のロードマップ通りとなる辺野古への移設を承諾することとなる。つまりは、先の総選挙においてぶち上げた県外移設を断念した訳だ。これが2010年5月のことであり、同時期の世論調査によると内閣支持率は19%水準まで文字通り落下し退陣を余儀なくされた鳩山内閣は菅直人氏に後事を託す。

この菅内閣だが、発足当初から最大派の首領である小沢一郎氏が党内をかき乱す動きを見せるも、それに対し毅然と”反小沢”の意思表示をしたことで党内の結束も内閣支持率も回復するというおそらくは望外の結果となる。しかし、今に続く問題として尖閣諸島周辺海域における中国漁船の衝突事件が起こり、那覇地検の判断で中国人船長が釈放されるという事後処理に国民が幻滅した結果、内閣支持率は危険水準の20%前後まで急落する。

この状況で、今からちょうど10年前の2011年3月11日に発生したのが、東日本大震災であった。



被害状況の詳述はしないが、本稿の内容に関わることとして福島第一原子力発電所の対処には若干なりとも言及しなければならない。震災から時が経ったことで、当時の状況について当事者への取材等で生々しく活字化されたものを目にする機会も各所で増えているが、その中に1つ非常に興味深いものがあった。”トモダチ作戦”の現場事情について綴った、『文藝春秋』4月号に掲載されている麻生幾氏のレポートだ。

そこには、当時現場指揮にあたった陸上自衛隊の幹部陣は、日本政府の対応力をアメリカは疑問視しており原発がコントロール不能な事態に陥ると見るや米軍は陸・海・空軍から選抜して編成した特務部隊で自衛隊を指揮下に置こうとし、また米国防総省が派遣した放射能専門対処チームは日本政府の判断に介入を試みるのではないかという強い危機感を持ちながら事にあたっていた、という主旨の記述がある。

そこでは、物騒な表現になるが第二次世界大戦直後のGHQのような占領軍すらもイメージされており、自民党55年体制が崩れ民主党政権に”なってしまった”ことも大きく影響し日米政府間に距離が生じている様が描写されていた。

実際、震災後の2012年7月にはロシアのメドベージェフ首相が北方領土・国後島を急遽訪問している。これは大統領時代の2010年に次いでの2度目の訪問となったが、同氏が北方領土はロシア固有の領土であると語りそれに対して菅総理が「許し難い暴挙」と発言したことで日露関係は急速に悪化した。そして同年翌8月には韓国の李明博大統領が竹島に上陸し、そこが自国領土・独島であることを示す石碑を設立するという重大事案が起こる。

これはすなわち、前述したように基地問題のゴタゴタをはじめとした日米政府間の距離を察知し日米同盟の揺らぎと見た周辺国がここぞとばかりに侵出してきた格好であるように思う。

その後は中国が、習近平国家主席が権力を掌握した2013年以降、特に尖閣諸島周辺の日本領海への侵入を活発化させており、また北朝鮮は日本海水域にミサイルを発射するなどし韓国もいわゆる”慰安婦問題”最終解決のための合意を前政権による瑕疵があるものとして一方的に無効とするなど、大きく揺さぶりを掛けて来ている。

このような情勢下で長期政権を敷いた安倍晋三氏がとったのは親米の一手であり、その策の一つが基地問題にも関係してくる馬毛島の取得であった。現総理の菅義偉氏もこの流れ、つまり日米同盟の再強化に取り組んでいるように見え、そういった意味では「国としての独立の維持・国防のための努力を本気で考えねばならない時代に突入した」と言えるのではないか。そしてこのことは当然、そのために汗をかくことが出来る政治家・政党を選ばねばならない、ということを同時に示している。

2021年の今、「震災から10年」ということが報道・SNS等のいたるところで話題となっている。私自身はホール上位役職者としてのキャリアでは20年ほどになるが、ちょうどその半分あたりで起こったのが震災であり、職務も板につき仕事以外の世の中的なことについても色々と思いを巡らす余裕が出て来た頃というのもあって、当時のことはほんの些事であってもよく覚えている。

その記憶のひとつに、社内で上長と政治談議をした際の会話がある。上長はおそらく政治に限らず様々な意味を込めつつ、このようなことを言っていた。

「歴史的な経緯を把握していない、当事者として遣り取りしていない新参者が良いことを言って色々とやろうとしても、そう上手くはいかない」

「改革みたいなことをやるに及んで、外からやって来た者がやればたしかにインパクトがあり劇的に変わりもするだろう。だがやはり、当事者・利害関係者が自分たちで手掛けるのが本筋であり、そうでないと問題の根本は残ったままでいずれまた似たような問題が生じる」

「その時に、では今度はどうするのかと、何年も前にやった議論を再び繰り返すことになる。そんなのは、あまりにも馬鹿らしいだろう」

震災10年に際し本稿でちょっとした振り返りを行うにあたり、この会話の内容を私は撤去問題に揺れるぱちんこ業界における組合事情であったり、いずれまたやって来る国政選挙であったり、様々な場面に当て嵌めて思いを致している。

折しも年明け以降は、まさに旧規則機の自主的撤去への取り組みのゴールポストを動かすような動きが顕在化した。そして、これでは監督官庁の信頼を失うのではないか、従来的な業界所管の方針には賛否あれど大筋としてその通りにやって来たからこそ得られたものもありそれによってコロナ禍という窮地をどうにか凌ぐことが出来ているのではないか、といった話題が各所で持ち上がった。

仮に警察庁と距離が開いたならば業界は一体何を失うのか、業界の在り方に疑問を呈する外部勢力に付け入る隙を与えるのではないか、このようなことを想像するのはそれだけで恐ろしくもあるが、なぜ今回複数の旧規則機において撤去問題が起こったのかについては改めて冷静に議論すべきであるように思う。

それと同時に、法令によらず口先介入的なアプローチで業界側の忖度を促したり、いわゆる広告宣伝規制のように社会風俗の様相は風土事情であるからその是非は各地の公安委員会の判断に委ねるというような従来型の警察庁のスタンスにも綻びが見え始めているのではないかと述べて、本稿を締める。

楽太郎

Posted by 楽太郎