「次の世代は、きっと我々よりは賢くなるでしょう」

かねてより国防における懸念材料と目されていた中国のいわゆる「海警法」が2月1日に全国人民代表大会の常務委員会において可決され、同日から施行された。

本件については、中国海警(船舶標識は「CHINA COAST GUARD」)のトップに就任した人物が元々は”正規軍”である人民解放軍の海軍出身者であり、かつて東洋海域の艦隊に配属されていた本筋の軍人であることから実質的にこれは正規軍に準じる国家機関であり、国としてやってしまうと角が立つような事案の際にまずは出張って来る軍隊のようなものではないかと注視されていた。



海警法には「中国当局の承認なしに、外国組織、個人が中国管轄の海域、島嶼に建造建や構築物、固定、浮遊の装置を設置した場合、海警がその停止命令や強制撤去権限をもつ」このような一文がある。

つまり、1978年(昭和53年)に尖閣諸島の魚釣島に日本青年社が建造し、現在は国土交通省の外局である海上保安庁が国庫帰属財産として管理している燈台は、海警法に則れば中国側に強制撤去の”権限”があることになる。

周辺海域における中国籍船舶の航行はコロナ禍の最中であっても盛んであるのは周知の通りであり、ここに来て同法が施行されたことで領海侵犯が今後より実行力を持ったものに変わっていくのではないかという報道も目立つようになって来ている。

このような情勢下で想起されるのは、昨年中の香港における中国当局の実質的な軍事介入である。2020年6月30日に施行された香港国家安全維持法に基き、公安組織の活動は特別行政区である香港においても実効力を持つこととなった。同法施行に反対するべく集った市民が容赦なく鎮圧される様子が、SNS上でも生々しく発信されたことは記憶に新しい。

そして、この香港で起こったようなこと、つまり実効力を持った中国政府・軍部の介入が台湾或いはその他の島嶼部でも起こり得るのではないかという警戒感もまた現実味があることとして浮上した。

後段で紹介するのは、上記の香港動乱の当時にあたる2020年7月14日に、所属しているオンラインサロン「パチ盛り」に投稿したものである。またこの記事の公開直後にあたる2020年7月30日には、李登輝氏が逝去している。

ぱちんこ業界の事情とは直接関係しない内容だが、冒頭で述べた通り中国の動向についてタイムリーなものであるため、この機会に転記することにした次第である。

『餃子と爆弾と台湾独立』

1971年12月、中国外交部は領有権に関する声明を発出し、その中で台湾を必ず解放する事、また尖閣諸島等の台湾に付属する島嶼も必ず回復すると主張した。

翌年9月の日中共同声明により国交正常化が成り、その取り決めの中には尖閣諸島等に関する言及はなかった。

1978年10月、日中平和友好条約の批准書交換のために来日した鄧小平副総理は日本記者クラブでの記者会見において、先の国交正常化の際、両国は尖閣諸島等を含めた領有権には一切触れないと約束しており、今回の平和友好条約交渉の際もまたこの問題には触れないという事で一致したと明かした上で「こういう問題は、一時棚上げにしてもかまわないと思います。10年棚上げにしてもかまいません。我々の、この世代の人間は知恵が足りません。この問題は話がまとまりません。次の世代は、きっと我々よりは賢くなるでしょう」と発言して、事実上“棚上げ”の姿勢で両国が一致している事を主張した。

しかし、日本政府はこの話の内容を否定するとともに、解決すべき領有権問題は存在しない(=尖閣諸島は日本固有の領土である)という見解で今日まで至っている。

時は流れ2012年の9月、中国政府は『釣魚島は中国固有の領土』と題する白書を発表し、その文書内において中国固有の領土である尖閣諸島は日清戦争時に日本によって窃取されたものであり、カイロ宣言やポツダム宣言等に基けば台湾と共に即時返還されるべきものであると主張した。

事実これ以降、周辺水域における領海侵犯の件数は大幅に増えており、中国共産党上層部では習近平が台頭し同年11月以降は総書記の地位に至りその後長く最高指導者の座に就いている事は偶然の一致とは言い難いだろう。

あたかも“中華”が“四夷“を治めんとするが如く、中国はアジア圏の覇権国家たるべく大胆に動き始めた。

こうした中国との領有権に関する話題に際して、日本人である我々は尖閣については敏感に反応するが、かつて“領土”であった台湾については親日派も多いらしいというイメージを持っている者が多いくらいでそれ以外の事情については特に興味を示さないで来たと言える。

その台湾では今、香港で施行された香港国家安全維持法がこの先々において台湾に対しても向けられる可能性を憂慮している事と思う。

実際、近年様々な場面で中国政府が「1つの中国」を主張し統一を志向するほどに、民意は「台湾独立」に傾くという構図にある。

しかしこの事は、何も今に始まった事ではない。

かつて「台湾独立」という大いなる野望を胸に、言葉の本来の意味合いとしては相応しくないが、池袋の雑多な繁華街に構えた大衆料理店にて昼は餃子を焼き夜には爆弾を作りながら、堂々と潜伏した一人の革命家が居たのである。

男の名は史明(シ メイ、シー ミン)といった。

この名前は、現代日本史や台湾史等の領域では台湾人の手による初めての通史である『台湾人四百年史』の著者として挙がって来るものであり、また国際政治の舞台では蔡英文政権の上級顧問を務めたフィクサーとして知られる人物である。

彼は日本統治時代の1918年に台北州で生まれ、留学先の早稲田大学でマルクス主義に目覚め中国へと渡り、中国共産党による抗日運動に身を投じる事になる。

既に実力者であった鄧小平に目を掛けられ幹部への道が拓けるも、それが目指すものが台湾の未来を脅かすであろう事を見てとった彼は台湾へと帰還し、圧政を敷いていた蒋介石の暗殺を企てるも計画が事前に漏れたため1952年にバナナの輸送船に乗って日本へと亡命した。

その後は1954年、池袋に「新珍味」という屋号の大衆料理店を開き自ら厨房に立ち鉄鍋を振るい餃子やターローメンを客に出しながらそれを独立運動の活動資金とし、階上の一室では有志と共に勉強会を開いたり密かに爆弾を製造したりしながら実に40年にわたりこの地で革命の灯を瞳に宿していたのである。

当然そのような男は危険人物として公安が注視する対象であったが、同時に冒頭で述べたように中国や台湾との関係を考えた際にはこれ以上ない活きた情報を有している重要人物でもあり、また同店が国内の文化人たちが日常的に出入りするサロンとしても機能していた事もあり、逮捕などの面倒な目には遭わずに歳を重ねる事が出来た。

池袋は1990年代後半から2000年代初頭においては50数軒ものパチンコ店が鎬を削る全国でも有数の激戦区であり、同店が位置する北口のごく狭い界隈だけでも十数店舗が新規開店してはいつの間にか廃業して行った。

革命家・史明は2010年、中国からやって来た若者に二代目店長を託し、その後は年に1~2ヵ月間ほど滞在して調理指導等を行う以外は台湾で生活し、2019年の9月に100歳で没した。

彼は、自店から窺うぱちんこ業界の盛衰を、どのように眺めていただろうか。

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【参考】

・日本記者クラブ記者会見 鄧小平会見詳録「未来に目を向けた友好関係を」

・海上保安庁HP「尖閣諸島周辺海域における中国公船等の動向と我が国の対処」

・『100歳の台湾人革命家・史明 自伝 理想はいつだって煌めいて、敗北はどこか懐かしい』講談社

楽太郎

Posted by 楽太郎