2021年東京オリンピック・パラリンピックは、何の”証”も誇示し得ない

2021年1月21日

1964年(昭和39年)に開催された東京オリンピックは、第二次世界大戦の終戦から19年後にあたる。文字通り瓦礫と焼け野原からの復興と、明治以降の近代化路線の帰結としてか真に大東亜共栄圏構想という大義があったのかは別として国際社会から長く離脱(1933年3月27日国際連盟脱退)することになってから再びその仲間入りを果たした”証”として、日本はアジア圏では初となるオリンピック開催国となった。

当時はまだ、夏季と同年に冬季オリンピックを開催していたり、パラリンピックについて国際オリンピック委員会が直接的に関わるかたちではないこともあってか、その開催期間は10月10日に始まり24日に閉会式を迎えるという、現在の夏季オリンピックの日程感覚からすれば1~2ヵ月ほど遅いものであった。

私にとっての東京オリンピックの興味軸は競技自体ではなく、この催しを様々な角度や言葉で評した多くのメディアや文化人たちによる記録物だ。その中でも特に、講談社が編纂した『東京オリンピック 文学者の見た世紀の祭典』と、石井正己が手掛けた『1964年の東京オリンピック――「世紀の祭典」はいかに書かれ、語られたか』は、おそらくこの2冊だけで当時の世情を余すところなく記録したり読み解いてさえもいると思う。

アフリカ圏の22カ国をはじめとして戦後に欧州列強の植民地から独立した新興国が多く参加したことや、おそらく今以上にオリンピックというものが挙国一致で開催し且つ国を背負って参加するものであったから、という理由もあるだろうが(円谷幸吉は同大会で陸上競技唯一のメダルを獲得し、次大会での活躍を宿命づけられたことが原因で自死した)、そこには多分に”ナショナリズム”に関する記述が見られる。

「国家とは」「国民とは」などということに思いを致すこと自体が面倒に感じたり、日常生活とは無関係で不必要な大仰なもので、そんなものは自称知識人だけで盛り上がっていれば構わないという考え方もあるだろう。実際、執筆陣の面子を見れば、三島由紀夫、石原慎太郎、小田実、曽野綾子などと並ぶため、この時点で「ああ、こういうのはいいや、自分は読まない」という者も居るかと思う。

しかし、そういう話題を嫌厭したり、著作物について”食わず嫌い”の者であっても、現実にはナショナリズムとは一切無関係では居られない。何故か、それは、昨今の世界情勢は当時とは比べ物にならない程にグローバルでインターナショナルなものになっており、それと同時にというのが正しいか、そうだからこそというのが正しいか、ローカルなことや身の回りのコミュニティの在り方、またナショナルなものが逆照射されるように個々人の生活レベルでより一層強く意識されるように変容しているからである。

それは、諸外国と単純比較して日本的なものを礼賛するようなTV番組が増えたり、韓国において日本を貶めるような社会運動が見られた際に嫌悪感を憶えたり、中国による領海侵犯とそれに敢然と抗議する政治家は居ないのかということについて苛立ちを覚えたり、といった具合いにである。

このような世情の中で開催される注目度が高い国際競技においては、当の本人がそう意識するか否かは別として観戦や報道に触れた際の所感にナショナリズムの影響を帯びる。直近の十数年では、”なでしこジャパン”がアメリカ代表を下して頂点に立った女子サッカーワールドカップ、対韓国という観点に焦点を当てればワールド・ベースボール・クラシックが挙げられるだろうか。その舞台で選手が身に着け掲げられる”日の丸”は平時とは全く異なった意味合いや存在感を持っており、競技の成果は単なる試合結果を超越した幸福感或いは失望感をもたらす。

では、1964年当時蒼穹に向けて真っ直ぐに掲揚された国旗は、どのような意味を持っていたのか。これについては先に紹介した二つの書籍で多くの文化人が各々語っているが、その中から敢えてひとつ紹介する。つい最近の雑談記事で高倉健が主演した映画『駅 STATION』に触れたが、同じく高倉健主演で公開され後年には渡辺謙と遠藤憲一主演でそれぞれTVドラマ化された『居酒屋兆治』の原作者である山口瞳は、円谷幸吉のマラソン三位入賞に際してこのように書いている―――「戦後になってはじめて、全くなんらの抵抗感なしに、全くのいい気持で日の丸旗があがるのを見た。ツブラヤ君、ありがとう」と。

戦争体験者は日の丸に対して愛憎に似た感情を抱いていたとはよく言われることである。敗戦による無条件降伏で、それまで国と一体化していた己の自尊心まで砕かれたから、身近な人が多く死んだため日の丸を見ることで戦争の悲惨さがフラッシュバックするから、という理由もあるだろうし、軍国主義の大日本帝国が起こした”侵略戦争”のシンボルだったため、戦後になってそれを仰ぎ見ることへの決まりの悪さもあっただろうか。

そういう感情を全て取っ払って、なんらの抵抗感も無く、掲揚された国旗を見ることができたというのは、経済面で「もはや戦後ではない」と言い囃されたことがようやく生活面でも現実のものとなり、戦争というひとつの時代が完全に終わったことを当時の国民に実感させたのだと思う。

また、1960年(昭和35年)に開催が決定した後、準備期間の4年間で国内では式典・競技会場の設営はもとより新幹線と高速道路の整備・工事費などあらゆるものを含めて1兆円以上もの費用をかけたとされ、それにより経済が刺激され十数年後には世界有数の経済大国と目されるようになったという意味においても”戦後の復興の証”として開催するという目的は成就したと言えるだろう。



それから57年が経ち、いま政府は”世界が新型コロナウイルスに勝利した証”として2021年東京オリンピックを開催しようとしている。実際には、主眼に在るのは何かの証としてではなく、一旦手を付けた以上は中止などあり得ず経済刺激策としてやらねばならぬのだ、という意見も多く見聞きする中で、自民党幹事長・二階氏は1月19日の記者会見において「あらゆる困難を乗り越えて、国民の期待、世界の皆さんの期待に応えるべきだ」と断固開催ともとれる強気の発言をしている。

この姿勢を支えるものは、おそらくはワクチンの入手目処が立ったということなのだろう。加藤官房長官は同日の記者会見の場で、製造メーカーが規定値としている1人あたり2回分のワクチンを今年の前半までに全国民分用意できる見込みだと発言した。ファイザー、モデルナ、アストラゼネカなどが開発したワクチンには有効率94~95%というものもあるようだが、奇しくもそれと時期を同じくして”変異種”が確認されており、早くも国内に入って来てしまっている。

この好材料と悪材料とで開催可能論は相殺されたと言え、仮にまた東京において2,000人超の陽性者数が連日にわたり記録されたり1,000人を割り込まない日が長く続けば、何を以て開催が可能と判断しているのかという非難が国内だけでなく国際社会からもあがって来る可能性があり、更には感染拡大が収まっていない国になど渡航したくないという選手も当然のように多く出て来るものと見通す。

このような状況で仮に無観客形式であっても開催したとして、日本という国は世界に対して一体何を誇示できるというのだろうか。

最後に、ぱちんこ業界において。

まずはメーカー側だが、仮に開催となった際の新機種販売日程のことで気を揉んでいる。1月中旬の時点では、いま型式試験に持ち込んでいるものが2月中旬までに適合すれば、4月中の販売には間に合う格好だ。問題はその後のことで、オリンピックは7月23日開会式~8月8日閉会式で、パラリンピックは8月24日開会式~9月5日閉会式という日程になっているため、私自身はこの可能性は極めて低いと見るが仮に警察庁による国内警備を間接的にフォローするという目的で業界側が”入替自粛”を申し合わせるということがあった場合には、7月下旬から9月初旬までメーカーとしては主力機を販売することが難しくなる。

となると、販売の勘所はその直前・直後ということになり7月と9月には各メーカーの新機種販売が集中することになる。その後すぐさま、11月下旬の経過措置期限がいよいよ到来するため、ここでも販売が重なるという状況になるが、ホール側のことに視点を変えればコロナで体力を削がれ切った状態で各メーカーの主力機を7・9・11月に買えるのかというと、相当にハードルが高い。

多くの主力機の撤去期限ならびに新機種販売が多かった昨年11月以降に機械代が膨らんでいるという法人・店舗は全国に沢山あると推察されるが、毎月ペース配分しながらではなく前述したように短期間でまとまった機械代が再び発生するとなると、経営・ホール事業継続の意欲を失う経営者も多く出て来るという可能性が高まるだろう。

そういった意味では、国策や国内経済の事情などを全て無視した場合には、ぱちんこ業界にとって「2021年東京オリンピックなど、やらないでいただきたい」という意見が主流になるだろうと述べて本稿を締めさせていただく。

楽太郎

Posted by 楽太郎