新型コロナの一年を回顧する-パチンコ店は社会の”癌”なのか

その姿かたち見えぬが故に、また仮に科学技術を駆使することで観察し得ても己の理解の範疇から外れた距離やサイズ、現象であり生態や機能の把握や予測が困難であるが故に恐怖するというのは、生きものとしての人間の根源的な感情である。

恐怖感を和らげたり考察のまな板の上に乗せるための手段として、まずはそれに名前を付ける。古来より人間は、得体の知れない自然現象や超常現象などに名前を付け擬人化したり想像を働かせ”具象化”を試みることで発展してきた。雷や地震、病気などへのアプローチがまさにそうだ。

これは人類史上において国家というものが出来て以降、とても醜く変質したかたちで時折姿を現した。自国内の社会不安や疫病の流行、貧困などの諸問題に際して、その理由を得体が知れない、知れていても本来他所者だったり不気味な存在として認識されているマイノリティや、事実であるかどうかは関係なく国益を吸い取ったり不当な利益を得ていると見做す者に対して押し付けて迫害して来た。よく分からぬものは”奴ら”のせいだ、という具合いに。

これが政治や世論と結びついた際には、より一層タチが悪くなる。アメリカの著名な作家として知られるスーザン・ソンタグは、人が文化的なレベルで”悪”について述べる際には”病い”を隠喩(メタファー)として用いている、と指摘した。例えば「共産主義は社会における”癌”である」という具合いに。現に、特に癌という病いは、敵・劣等と見做される者・排斥すべき者への”汚名や烙印(スティグマ)”として使用されている。

2020年のコロナ禍に喘いだ日本では、残念ながらパチンコ店は、生活必需産業ではなく余暇産業であるという意味で不要不急な業態であり尚且つ何となく感染拡大の原因になっていそうだという理由だけで非常に酷な立場に置かれることとなった。世の中が健康を取り戻し健全であるために、その障害となっている原因であり社会悪である不健全なパチンコ店は、なんならこの機会に可能な限りの軒数が潰れてしまえば良い、潰れてしまっても仕方がないのだとでも言わんばかりの論調すらも見受けられた。

実際、緊急事態宣言に係る休業要請下において、そのような主旨の発言や記述をいくつも見聞きしたし、それは一般の個人だけではなく著名人の中にも見受けられた。そのようなこともあり、ホール企業に今年入社した社員の中には総叩き状態にあった4~5月に店舗配属された者も多かっただろうが、キャリアのスタートを自分の存在が悪なのかという自問自答から始めることとなってしまった。

ぱちんこ営業は、遊技の結果として得られた玉・メダルなどの数量に相当する市場価値とほぼ等価の賞品を客に対して提供してよい特殊な営業形態であり、それをもってぱちんこ業界は将来においても守るべき巨大な遺産・レガシーであるとしている。しかし、その背景となった戦後風俗の様態と取り締まりの事情を知らぬ者ほど”既得権益”として忌み嫌い、自らの攻撃を正当化する際の根拠としている。

このような者たちは、ぱちんこ業界・業界人に対して、本来その存在自体が社会の害悪であり不健全な仕組みで不当な利益を得ることに慣れてしまった者たちであるから”自業自得”なのだ、新型コロナのようなことが切っ掛けで色々と手厳しく指摘されるの必然なのだ、という自論を度々振りかざす。

医学が発達しておらず病気の原因が皆目分からなかった時代には、病気とは宗教的・社会的不道徳や悪行への罰として課された結果物、或いは本人の気性や精神面での欠陥の表出であるとされ、すなわち原因は個人にあることから差別・侮蔑の目線でも見られていた。

また洋の東西を問わず歴史を紐解けば、病気が社会現象の考察に対して援用される際には、感染性を持つものは次第に拡大し社会を侵略する危険性を帯びているため、これを予防するために社会から排除・隔離・切除して然るべきであり、その感染に関わっていると見做される者ならば懲罰されて然るべき、叩かれる原因はその者自身にあるのだ、という危険な思想へと昇華して来た。

先ほど紹介したソンタグは、癌が話題として扱われる際に戦争の記述で使用される語句が多く使われることに着目している。癌細胞は人体を侵略し、離れた部位に転移することで植民地を作る、といった具合いにだ。

このような見方を特定の業種に対しても援用すること、例えば今年パチンコ店が受けた「パチンコ営業は新型コロナの感染を拡大させる疑いがあることから休業を要請したり、社会の総意として半ば強制的に休業させることは、感染拡大を抑え込むことに寄与するから善なのだ、妥当な措置なのだ」という論調は、パチンコ店を公衆衛生や公共の福祉に対する侵略者――癌として扱うものであり、これによりホール営業に携わる者たちも4~5月の一時的な期間ではあるが非情なマイナスのイメージを社会から投射されてしまった。

その投射されたイメージは、国から正規の許可を得て営業しているパチンコ店の実態を知らぬ個人の虚妄や煽動的な発信を助長し、そのような事実とは異なる発信が溢れた場合には今後は社会自体が影響されてパチンコ店を取り巻く状況がより一層悪化する可能性すらもあった。

しかし、日本人が美徳とする判官贔屓からか、或いは当初全く得体が知れなかった新型ウイルスへの不安による混乱がある程度収まり冷静に物事を観察できる段階に移行したからか、晴れて営業再開が成った6月以降はコロナ禍に際しての”パチンコ悪玉論”のようなものは見受けられなかったという点において幸運であったし、無理解や誤解を解くための適切な努力が業界側でなされたということについては普段は様々な批判に晒され依然として多くの問題・課題を抱えていはいるものの、この業界も「まだまだ捨てたものではない」と思わされた一年であった。

楽太郎

Posted by 楽太郎