鳩は民家の屋根瓦、猫は路地-楽園を探して

香ばしく焼き上げたパイ生地を森の落ち葉のように幾重にも重ね合わせて作った洋菓子をミルフィーユと呼ぶが、よく知られているようにフランス語で「mille」は千の・多くの、「feuille」は木の葉を意味しすなわち「mille-feuille」では沢山の木の葉となるのは言い得て妙だ。

嫁さんの指示通りに家事をこなした後、駅前のホールへの道すがら公園を通り過ぎると、風に吹かれた木々が色付いた葉を落として出迎える。小林一茶がふわりふわりと降る雪を「む(う)まそうだ」と詠んだように、もしも私が食う物に困るような境遇だったならば、ひらりひらりと舞い落ちる木の葉を美味しそうだと思って眺め入るのではないかと詰まらないことを考えつつ水飲み場から道路方面へと歩を進めた。

水飲み場の辺りには20羽ほどの先客が居て、私のところに「この人間は何か食べ物を恵んでくれないだろうか」とでも言っているかのようにクルッポウ、クルッポウと喉を鳴らしながら様子を窺って来る。残念ながらポケットには昨日西友で買い物をした際のレシートが入っているのみで、鳩たちが喜んでくれそうなものは何も持ち合わせていない。この場所から公園の向こう、民家が立ち並ぶあたりを見遣れば、そこに影を落とす枝葉も無くちょうどしっかりと日の当たる時間帯だからか、こちらに居るのとは別グループの鳩たちが屋根瓦やベランダの上に陣取って暖を取っているように見える。

このブログでは度々登場する住宅地の小さな公園は今日も盛況で、ブランコで遊んでいる小学校低学年くらいの3名の女子が邪魔なのかいつもなら数匹居る猫が今日は1匹も見られない。きっと曲がり角の駐車場かその辺りの路地に寝そべっているのだろう。



毎年肌寒く感じられるような季節になるといつも思うのだが、この町の小さな住人たちは真冬にはどこで・どのようにして過ごしているのだろうか。鳩も猫も12~2月くらいには目に入る数が減り特に猫は個体判別できるため、何年もこの界隈に居る尻尾のかたちが綺麗な灰色の猫は最近見掛けないが遂に死んでしまったのかと心配させられるものの春になるとまたひょっこりと姿を現すというのを数年繰り返していて、今年ももうそんなことを考える季節に差し掛かっている。

やはりこの近所にある喫茶店には月に1度程度だが顔を出していて、まだ外の看板がくるくると回っていた頃だからたぶん東日本大震災があった年くらいだろうが、マスターと先ほどの話題で盛り上がった(と自分では思っている)ことがある。

その時の結論は「どこかに鳩や猫の楽園があるのではないか」ということであった。鳩は都会の片隅か或いはど真ん中か見捨てられたビルの一室にでも集い、どこそこに優しい住民が食べ物をふんだんに与えてくれるアツいスポットがあるなどと情報交換していたり、猫はどこかの背が高いビルの隙間のずっと奥の方にぽっかりと拓けた場所があり、そこで思い思いに寝っ転がったり爪を研いだりしながら暖かい季節が訪れるのを待っているのだと。

これは実に愉しい空想で、それからも度々この”楽園”のことを思い出しては”それっぽい”ビルの隙間の奥の方に目線を遣ってみたりしながら街を歩くアブナイ40代男性になってしまっている。

話の締めに我ら人間界について。これからの時期、ユーザーの方々にとって寒さ以上に身に染みるのはホールの厳しい運用レベルではなかろうか。私自身も今日、約3時間にわたって家事と格闘した後の開放感から勇んで出向いた駅前のホールで、とても遊べそうにない釘の状態のパチンコ機に相対してすっかり閉口してしまった。

パチンコファンにとっての楽園はどこにあるのか、無いならつくるか、ではどうつくるか、つくるための条件は何か、何が障害で何が助けになり得るか。遊技自体ではなくそのようなことを考えながら甘デジのPガオガオキングを弾き、幸運にも2,000個計数して帰宅した1日であった。

楽太郎

Posted by 楽太郎