「加藤の乱」に思う-物事の節目・局面を察知し行動する力を

2020年11月15日

つい先日の記事で、1999年から2000年にかけての業界内の様子について、また私自身の若手時代についてごく簡単にではあるが述懐した。その際に、ことのついでに思い出した同時期の政局について触れつつ書き進めたいと思う。

その政局の舞台の主役を演じる事となったのは加藤紘一である。加藤は日本三大急流として名高い最上川が日本海に注ぐ田畑豊かな一帯の選挙区を中心的な地盤とし、小泉純一郎・山崎拓と併せてYKKと称され政治家としてのキャリアの絶頂期には総理の椅子に最接近した政治家である。接近、ということはつまり到達はしていない訳だが、その機会を逸失した局面が今回思い起こしている世にいう”加藤の乱”である。

2000年も11月に入り、20日の衆議院本会議において野党が森内閣不信任決議案を提出する動きをみせ、これに対して自民党内では宏池会の会長であった加藤が議決に賛成或いは欠席するという”倒閣”の意思を表明し山崎派もこれに応じて同調する動きをみせた。その後、党内では執行部が主導して除名をちらつかせるなどしての倒閣派の切り崩しという対処を行い、結局のところは不信任決議案に賛成まではできず欠席というかたちでの”名誉ある撤退”を選択することとなった。日本人の旧時代的な美意識がそうさせるのか自らは決して戦わない傍観者たちが或いは嘲笑しまた或いは勝手に落胆したためか世間で加藤は”終わった政治家”として認識され、実際に党内での立場はこれをもって失われその後二度と表舞台に登場することはなかった。

この本会議に欠席した主要な議員としては、現総理の菅義偉、その菅と総裁選を戦った岸田文雄の名が見られるが、中でも特に谷垣禎一は派閥の首領である加藤と山崎が単独ででも不信任決議案に賛成票を投ずるべく本会議場に向かおうとする際に加藤の肩を掴み涙を浮かべながら慰留したり敢えて派閥に残ったことがやはり日本人気質の琴線に触れたのか、メディアでも盛んに報じられ人物評を上げる結果となった。

乱の鎮圧後、これら三名のうち菅に関しては最近たびたび話題になっているため割愛する。岸田は自身の政治活動における広報誌である『翔』にて本件を「政治活動においての転換期になったと言える」と紹介しておりまたメディアからのインタビューに際しては「宏池会の一員として最後まで加藤先生を支えましたが、この結末を見て、ひとたび戦いを始めたら、勝つまで戦い抜かねばならないと肝に銘じました」(『文藝春秋』2020年10月号)と回顧している。

そして谷垣はというと、第一次小泉内閣で国家公安委員長に就任し2009年には自民党総裁となるものの、当時自民党は麻生内閣総辞職後の総選挙で大敗し民主・鳩山政権下で野党として雌伏の時代を過ごしていたため総理の座に就くことはなかった。その後は、2014年の第一次安倍内閣において自民党幹事長に就任し当選回数上(当時11回)でも党職経験上でも十分なキャリアを有していることから同党議員として今後も存在感を持って活動すると目されていたものの、頚髄損傷に至る事故を起こしたことが原因となり幹事長続投要請は固辞し結局のところ翌年に政界を引退することとなった。奇しくもこの幹事長職に後任として就いたのが、今のぱちんこ業界に最も強い影響を与える政治家と目されている二階俊博である。

加藤の乱を振り返ったことで思い出されたこれらの出来事は、実に示唆深い。まず第一に、物事には節目・局面があり、これを見逃したり行動に移すのをためらっては大事を成し損なうということ。第二に、勝負所で勝たねば立場を失ったり、また振る舞い方を誤ると影響力を失ったり評価を落としてしまう可能性があること。第三に、あらゆる運や縁、成り行きを自身のプラスにして大願成就に向けて邁進すべきこと。

私はぱちんこ業界の一員なので、これらのことを今まさに業界を取り巻く様々な事情や過去の主要な出来事についていちいち当て嵌めてみて、あの時どうだったとか何がターニングポイントだったとか、自分なりに解釈したり”もしも”のこととして別の道筋や結果を頭の中でシミュレートしたりしている。

そう言えばつい最近、業界内の要人と面会する機会があったが、その方はこのように話していた。

「政府による緊急事態宣言下にあった5月13日。東京医師会がパチンコ店をクラスター発生場所として挙げるという事実誤認に基いた発信を行った。これに対して国際カジノ研究所・所長でIR・カジノの専門家である木曽崇氏は、特定業界に関する誤った情報を広く発信してしまった事に猛省を促すと共にパチンコ店の休業要請への協力状況を取りまとめた記事を公開しそれが一般メディアにピックアップされ、医師会が翌日中に緊急謝罪を行ったことで”潮目が変わった”と思う」と。

世間から叩かれ過ぎたきらいもあるパチンコ店は、大多数の店舗が長く休業要請に耐える姿が憐れを誘ったこともあってか、あまりにもパチンコ店だけを槍玉にあげ過ぎではないかという世論が喚起され結果的にはおそらく近年稀に見るような”理解”を得たように思うが、”もしも”この時に、発信内容を即座に訂正していただけなかったらどうなったか、別の手段を講じていたらどうなったか、そもそも別の手段があったのかどうか、無かったのであれば今後どうするべきなのか。

こういったことは、業界団体関係者だけに任せるのではなく特にホール職域の者であれば個々人が常日頃から考えるべき時代や業況になっていると述べて、本稿を締めさせていただく。

楽太郎

Posted by 楽太郎