存在の意味と宇宙を思索し続けた偉大なる「パチンカス」

螺旋と蒼穹、雁と胡椒、蓮と海嘯、滑車と風洞、単独と永劫、鐘と遊星、黙示と発端、天啓と窮極、微塵と出現、瞬発と残響、跳躍と浸潤、覚醒と寂滅……などと列挙すると意味不明だが、これは20世紀の日本における政治・思想評論・文学領域では必ずその名が挙がる人物である埴谷雄高の著作のタイトルである。

他には兜と冥府、というものまであり、ここまで来るとパチンコ店長のブログ読者の皆さんは先ほどのタイトル群に対して勝手に意味付けを行うだろう。

蒼穹のファフナー、花の慶次 蓮、弾球黙示録カイジ沼 天啓、聖闘士星矢海皇覚醒そしてアナザーゴッドハーデスといった具合いにである。

こうなればなんだか興味をかき立てられて、では折角だから軽く調べると『死霊』が代表作らしいので読んでみようか、などと思った方が居れば、私としてはあまりお薦めしない。

同著は著者が戦後の半世紀を掛けて書き進めついには未完に終わった言わば思弁的長編小説であり、その抽象さ故の難解さの果てに待っているのは夢の世界であり、そう言った意味では良き睡眠導入剤なのかも知れない。

さて、その埴谷雄高であるが、『どくとるマンボウ航海記』で知られる作家の北杜夫は彼と親交があり時々自宅を訪問していたが、ある日夫人から駅前のパチンコ店に遊びに行っているので不在であると言われ大層驚いたということを自身の文壇交流録的な著書である『人間とマンボウ』の中で書いている。

当該箇所のざっくりとした内容は、埴谷雄高の難解高尚な文学のイメージとパチンコとは噛み合わない、という業界関係者にとっては何だか不名誉にも思うものだが、しっかりと連チャンさせていて足元には玉箱が積み上げられていたのでこれはかなりの打ち手だと驚かされた、と続くのでこれでまた妙な親近感を抱くはずだ。

パチンコスロットが好きな著名人で特に本業や人物イメージとのギャップが大きい方が居ると、つい嬉しくなってしまう……当たり前のことなのかも知れないが、ぱちんこ業界人というのは昔からそういうものである。

では、世の人々はというと「あの人はパチンカスだったのか、残念」といった具合いに理不尽な失望感を抱くのが常であるように思うが、そのようになったのは一体いつの頃からだろうかと考えてみると、”ぱちんこ業界が失ったもの”とは何かが見えて来るのではなかろうか。

私自身はこれに対してひとつの答えを持っており、それはこれまでの発信活動において何度も述べている通り「こういう場所や大人にとっての遊びも、あっても悪くはないかな」という許容に他ならない。

埴谷雄高は1997年(平成9年)に没し、ついに『死霊』は未完のままであった。

先に述べた通り難解を極める著書であるが、それだけにこんなものを生涯を通じて思索して苦悶して文字にして、という毎日を過ごしていたのであれば、彼にとって駅前のパチンコ店はきっと”そういう場所”でありまた”遊び”でもあったのだろうなと、早朝の本社デスクにてふと思いを致した次第である。

楽太郎

Posted by 楽太郎