「足し算」の限界地で-「進化」の呪縛からの解放

果たして遊技機は進化しているのかどうか、というのは度々話題になることである。

その際にまずは進化の定義が問われるが、機能やハードとしての製造技術、演出表示、音響効果、操作性、可動役物など外見上や体感上の違い或いは表示・動作の精度については、私のようにホール営業で運用したりいちユーザーとして遊技する側の目線で見た限りでも旧来のそれと比べた際に格段に進化しているのが良く分かる。

では、遊技業界として欠かせぬこととしてユーザーから楽しんで貰えるような遊技機を世に送り出すという観点ではどうかといえば、これはホール側の運用レベルや規則・規格・内規上の縛りがより厳しくなっているということを差し引いたとしても、お世辞にも昔よりも今の遊技機の方が進化しているとは言い難い。



例として適切かどうかは分からないが、芸術領域における進化について簡単に触れたい。

近代(19世紀までと言い換えて良い)までは表現の技法や素材、様式、題材などにより流派や時代が区別された上でそれぞれが芸術史の中に位置付けられていたが、現代(大雑把に20世紀以降と言い換えて良い)においては旧時代の在り方を否定するかたちで幾度も前衛芸術が生まれてはいずれそれもまた古臭いもの・旧時代的なものとされ常に「モダン」の地位は塗り替えられていた。

そうする内に、どん詰まりとまでは言わないまでもさすがにそう頻繁には新技術や表現技法が出て来ない状況になり、そこで出て来たのが「ポストモダン」という概念・区分であった。

これは、素人考えではあるが、この区分或いは概念はおそらくは多くの現代アーティストを「旧時代を凌駕するもの、真新しいをものを創造しなければならない」という呪縛から解放したように思う。

なぜか、それは、旧時代の素材や技法、題材等を用いてはならないという暗黙の了解のようなものが取っ払われたからである。

つまりは、披露される場として想定しているのが美術館だろうが個人宅だろうがストリートだろうが、使われる素材が何だろうが、伝統的なモチーフだろうが想像上のものだろうが、何でも構わないのでより多くの者の鑑賞に耐え得るもの、コアな需要をピンポイントで満たすもの、乱暴に言えば「良いものなら何でもOK」という具合いに価値観自体が変質したのだと言える。

これを、パチンコスロット機について当て嵌めてみればどうだろうか。

液晶表示は大きいものが良い、解像度は高い方が良い、可動式液晶の搭載で演出の幅が拡がる、スピーカーは多い方が臨場感を演出できる、ボタンはより大きい方が良い、振動機能付きが良い、パトランプ内蔵型が良い、変わった材質の方が打ち気をそそる……

主要メーカーにおける遊技機の開発上の考え方はざっとこのようなものであり、京楽がボルケーノ枠を開発したあたりから加速した遊技機の機能・ハード面における「進化」は、約20年の時を経て今ホールに設置されている多くの遊技機、特にパチンコ機をその末裔として生み出すこととなった。

この間、主要メーカーは挙ってユーザーの五感を直接的に刺激する事に腐心して来たように思う。

しかし、これからはその方向性だけではなく別の魅力を追求してユーザーの遊技意欲をこそ刺激しなければならないと考えるホール関係者やユーザーが増えているのではないか。

つまりメーカーは、足し算の論理一辺倒で造るのではなく、引き算だろうが何だろうが面白ければ何でも構わないから出してくれという、より我儘な欲求に応える必要性が生じて来たということだ。

この遊技意欲を喚起するということはしかし、機能やハードと結びついてこそそれが可能だとも言え、実際パチンコ機においては重量感を備えた大型可動役物の合体や落下等が連チャン時の高揚感とリンクしているし、ATタイプ機の一撃役や特化ゾーン等に伴うボタン振動やリール逆回転、フリーズなどの演出はユーザーにとって今が目の前にある遊技機の最大の見せ場である事を端的に示す効果を有している。

嫌らしい言い方をすればメーカーは自らの工夫や「進化」によってホールとユーザーからの評価上のハードルを上げたことになり、今や新機種セールスの現場やSNS上などにおいて豪華な造りのものに対してその機能は必要なのか、効果的なのか、価格に見合うのかどうか、といった具合いにより厳しいチェック目線が向けられるようになっている。

例えば、当初ユーザーフレンドリーなものとして搭載されたであろう演出頻度カスタマイズ機能ですらも、遊技機の最後の味付けをユーザーに丸投げするものとして捉える向きもあり、これをして開発の怠慢や細部への拘りの放棄と見るホール関係者も居るだろうか。

要するに今のメーカーは非常にシビアな立場に置かれている訳だが、もう「進化」の必要はないのだ、より多くのホール・ユーザーから設置台数規模の大きさ、期間の長さ、打ち込み個数・枚数といった目に見える数値で高評価されれば良いのだ、コアな嗜好を有したユーザーから通好みの良台として評価されたり設置機種で個性を出したいホールからしっかりと注文が入るような造りなら良いのだ……といった具合いに、つまりは何か1つの数値や手応えでも良いのでパチンコスロットシーンに爪痕を残すような造りならひとまず成功と考えて、ここら辺で「進化」の路線から自ら逸脱してみてはどうだろうか。

もちろん言うは易しで実行するのは非常に難しいのだが、好材料も1つある。

それは、若年層のユーザーは、遊技機の「進化」を知らないということである。

何が前衛的か、モダンか、進化か、というのは歴史的な経緯を把握しているからこそ分かることであり、それを知らないユーザーにとっては液晶も特に変わった機能も有しておらずただ3段クルーンを突破すれば当たりという仕様が”刺さる”のかも知れないし、私生活で日頃から接している他のソフトや機器等と比べれば遊技機の最新型などショボいものでありそこに驚きや悦びを見出すことすら無いのかも知れない。

そう考えれば、少なくとも足し算の論理や性能面での向上というのは今や必ずしも求められてはおらず、「進化」の呪縛から解き放たれることで得られるものもあるだろうと述べて、本稿を締めさせていただく。

楽太郎

Posted by 楽太郎